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サトウハチロー記念館TOP
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 サトウハチロー氏未亡人がなくなり、それまで東京・文京区にあった記念館の館長職を継承することになった佐藤四郎さん(ハチロー氏次男)は、資料の保存、散逸防止のため恒久的な倉庫を建設するため、弘前市(祖父紅緑の出身地)、仙台市(祖母の出身地)、岩手県北上市(妻の出身地)などいくつか候補地を検討しました。その結果北上市への移転が現実しました。
  北上市を選んだ理由として四郎さんは、

 @  東京や埼玉(当時の住所地)からの新幹線・高速道路などの交通アクセスに恵まれていること。
A  空気、水などの自然環境に恵まれていること。
B  犯罪発生率が極端に低く、貴重な資料の保存に支障がないこと。
C  かつて黒沢尻とよばれた北上市は、東北有数の米の集散地。北上川を利用した舟運で栄えた歴史があり、宿場町として人にやさしい気風の残る都市として定評があること。
 以上4点を挙げられています。
 当初は資料の保存倉庫建設の予定でしたが、貴重な資料を埋もれさせてしまうのはもったいないとの北上市の熱心な勧めを受け、みちのく三大桜名所である”展勝地”(てんしょうち)にサトウハチロー記念館を建設することを決意し、平成8年に「サトウハチロー記念館・叱られ坊主」を開館させました。
  四郎さんには北上を大変気に入っていただき、今では北上市にとってなくてはならない人として、幅広く活躍していただいております。
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